丸山 伊津子
<甦る経済秘史>
インフレと預金封鎖 疲弊国民に追い打ち
2015年4月1日 東京新聞 国土は荒れ、多くの犠牲者を生み出した第2次大戦。
1945(昭和20)年8月15日から始まった戦後経済は深い混沌(こんとん)からの出発だった。
復興目指して苦闘した企業や人々の試練を探る。
(戦後70年経済史取材班)
紙幣の洪水だった。 日銀各店舗に持ち込まれた札に、職員らが金額の描き込まれた証紙をのり付けしていく。
東京の本店で働いていた間(はざま)光子(86)=横浜市=は、貼り終えた札を束ねるのに忙殺されていた。
窓口は人でごった返し、札は次々押し寄せる。街の混乱を肌で感じた。
終戦から半年後の一九四六(昭和二十一)年二月十六日。
政府は電撃的に翌日からの預金封鎖を宣言する。
預金が引き出せるのは新しいお札で一人一カ月百円(世帯主は三百円)までに制限される。旧札は強制貯蓄させ、持っていても三月二日限りで「ただの紙切れ」に変わる。
世の中に出回るお金の量を強引に減らす策だった。
全紙幣を十日余りで取り換えるのは前代未聞。
政府の新札印刷は追いつかず、証紙を貼った旧札までも新札とみなした。のりの質が悪く証紙ははがれ落ち、「無効になる」と、持ち主を慌てさせた。
「政府が乱暴な政策をするのは悪性インフレの病気を治すためです」。
蔵相の渋沢敬三はラジオで国民に理解を求めた。
インフレは危機的だった。食料や工業生産は壊滅的な打撃を受け、物が足りない。戦時中に日銀が国債を引き受けて発行した紙幣は戦後、市中にあふれ返り、消費者物価は日中戦争前と比べて五十倍に。終戦時十キロ六円だったコメは半年後三倍になった。
◆別の政策意図も だが、大蔵省の記録からはインフレ対策とは別の政策意図も浮かび上がる。
「(日本国民は)昨日まで一億人戦死と言っていた。
皆いっぺん死んだと思って、相続税を納めても悪くないじゃないか」。
渋沢は大蔵省幹部とそんな言葉を交わしていた。日本には一千億円超の巨額の国債残高が残されていた。
渋沢は「国の再出発のためには借金をきれいにしなくては」と思い、意を受けて策を練ったのが後に首相となる主税局長の池田勇人だった。
国民の財産を正確にはかるため、家庭にある紙幣を預け入れさせる。たんす預金を防ぐため、旧円を無効にする。
把握できた預金から財産税を徴収する-。一網打尽の作戦だった。
◆貯金が無価値に 引き出し制限の間にもインフレは進み人々の貯金は実質無価値に。強権発動になすすべもなかった。
東京都八王子市に住む内田イネ(77)は「預金封鎖が父を変えてしまった」と言う。雪深い青森県で育ったイネ。
漁師の父親は酒もたばこもやらず、こつこつ貯金し続け、「戦争が終わったら、家を建てて暮らそう」と言っていた。
だが、預金封鎖で財産のほぼすべてを失った。
やけを起こした父は海に出なくなり、酒浸りに。家族に暴力も振るった。イネは栄養失調で左目の視力を失い、二人の弟は餓死した。
イネは当時を思い出すといまでも涙がこぼれる。
「戦争が終わってもまだ、飢えという別の戦争が続いていた」
結果的に債務返済には財産税では足らず、生産力不足でインフレ対策も一時しのぎ。
戦争で疲弊した国民にさらに傷痕を残した預金封鎖。
日本総合研究所上席主任研究員、河村小百合は「債務のツケは必ず国民に回ってくるとの重い教訓を残した」と語る。 (敬称略)
トランプは、アメリカ合衆国歴代大統領の中で唯一戦争をしない人だったと言ってる奴がいる時点で時代錯誤も甚だしく、
戦争の仕方が変わったことにすら、気が付かない空気が読める人が居ると困るね。
過去にあったことは、未来にも十分起こる。いや、起こして来たんだ。
今ですら多くの人が死を選んでいる。
巨人大鵬卵焼きくらい、武器は鉄砲、戦車、戦闘機だけじゃ無いんだよ。
突然の金融封鎖が起こることを、一般市民が止める術はない。
買い物は投票どころか、優しさ経済圏なんて言ってる奴は発達障害か、詐欺師だ。
大人が口にして言うのは恥ずかしいことだよ君・・・
マジで言ってるなら
学校でちゃんと勉強していないんじゃ無いかね?
字読めますか?(笑)
ピンバック: 理論的思考をしても明確な改善策やアイデアが頭に浮かばないのは何故か? | kojiro hokoto tate 矛と盾 小次郎 spear and shield kojiro
ピンバック: 理論的思考をしても明確な改善策やアイデアが頭に浮かばないのは何故か?結構衝撃的な内容かも(笑) | kojiro hokoto tate 矛と盾 小次郎 spear and shield kojiro