古川 則子
昨日FBのフレンドからドイツ第二次世界大戦で負けることが決まっていたのか?とコメントいただきました。私はカバラ数秘術も詳しくないし、第二次世界大戦のドイツの背景もわからない。ただヒットラーには興味がありました。
そしてラプトさんの記事を見つけました。ヒットラーも操り人形に過ぎなかった様です。操っていた人が居なくなるや否や今まで当たりまくっていた指揮がガタガタになりました
前々からお話してきました通り、第二次大戦においてソ連とドイツが敵対していたというのは真っ赤な嘘で、彼らは裏で密かに手を組み、日本中心のNWO計画に荷担していました。
(詳しくは以下のリンク記事をご覧ください。)○第二次世界大戦はロスチャイルドとロックフェラーの勢力争いでした。
○この世界は「天皇=ロスチャイルド」と「バチカン=ロックフェラー」の抗争の上に成り立っています。にもかかわらず、ヒトラーは最後の最後になぜかソ連を攻めていってしまいました。
そのため、もしやナチス内部で「教皇派」による情報攪乱があったか、あるいはヒトラーが「天皇派」を裏切ったか、そういった何かしら激しい混乱があったのではないかと前々から予想していたわけですが、昨日の記事でそのカラクリがおおよそ分かってきたわけです。で、今日はそのカラクリの全貌を皆さんにはっきりとお見せしようと思います。
それはまさしく「事実は小説よりも奇」なる世界でした。さらに驚くべきことに、第二次大戦における「天皇派」と「教皇派」の戦いが、呪術による戦いだったことも分かってきました。
以前、徳川家と天皇家の戦いが呪術による戦いだった、
というお話をしたことがあります(詳しくはこちら)が、実は第二次大戦でもまた「天皇派」と「教皇派」は呪術による戦いを繰り広げていたのです。
長くなりますが、先ずは以下の記事をご覧ください。----------------(以下、アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”より転載)
自分を「獣666」──キリスト教時代に終わりをもたらす魔人だと確信していたアレイスター・クロウリー(註:20世紀最大の魔術師と言われる人物です。もちろん、悪魔崇拝者だったに違いありません。)
彼は第一次世界大戦を、「古い時代を破壊する血の洗礼」として歓迎したのだが、その後、もっと破滅的な世界大戦が訪れると予言し、自らは“邪悪な魔術”にふけるようになる。
そのため、社会的な信用を失ってしまうが、その老魔術師にイギリス軍情報部が協力を要請した。
彼を起用するよう上層部に働きかけたのは、あの“007”の作者イアン・フレミングだった。彼がクロウリーを起用して何を行なったか、当然のことながら書き残してはいない。が、さまざまな証拠から次のような事実が明らかになっている。
●クロウリーは、まずイギリス中の魔女たちを集め、“ヒトラーのイギリス上陸を防ぐ”呪術儀式を行なわせた。
第二次世界大戦の最中、何十もの魔女集会が開かれたのだ。目撃者の証言がいくつもある。
結局、ヒトラーはあれほど怒涛の電撃戦をやってのけたのに、イギリス本土侵攻にはついに本気にならなかった。
このことについて魔女たちは、「ナポレオンの時と同じことが起きただけ」と語っている。(註:魔力によってドイツがイギリス本土へ侵攻するのを止めていたと言いたいわけでしょう。
もちろん、信じるか信じないかはあなた次第ということになりますが。)
●次に「Vサイン」がある。今はすっかり有名になったこのサインは、第二次世界大戦中にウィンストン・チャーチル首相が初めて使用したものである。そして実際、連合軍の士気を高めるのに多大な効果をあげた。
この「Vサイン」=「アポフィスとタイフォンのサイン」を生み出したのは自分である、とクロウリーはその著書で主張している。
「Vサイン」はペンタグラムの魔力を応用したものだ──というのだ。
〈魔術で使用される「Vサイン」。シルエットが「悪魔」になる〉
●ところで、当時、ドイツには、カール・エルンスト・クラフトという天才占星術師がいた。
何人かのナチスの高官たちは彼に心酔していた。ナチス宣伝相ゲッベルスも彼の驚異的な予知能力に注目し、宣伝局の一員として抜擢。ゲッベルスがクラフトに命じたのは、ノストラダムスの『諸世紀』をベースに、ドイツに有利な予言を載せたパンフレットを作ることだった。
オカルトが一大ブームとなっていた当時のドイツで、ナチス帝国がその領土を拡大していくことが、ノストラダムスの予言詩や占星術に出ていると大衆にアピールできれば、ドイツの軍事行動は、まさに「神がドイツ国民に与えた使命」だと信じさせられる、と考えたわけだ。
●ゲッベルス(註:ナチスドイツの宣伝大臣。ドイツ国民のマインドコントロールを担当していました。
いわば、竹中平蔵のように国民を騙す役割を担っていたわけです。)の指導の下、こうして作成されたプロパガンダ用パンフレットが何種類か発行されて出回り、各国語に翻訳され、隠れたベストセラーになった。※ もっともこれは、「ニセ予言」を書くことを強要されたクラフトにとって、かなり苦痛を伴う仕事であったという。
●その後もクラフトはナチス幹部に重用され、クラフトはドイツ軍の作戦の多くを占星学上から割り出し、指示を与え続けた。しかし彼は、ドイツ軍の勝利がこのまま長く続くことはないと予知し始めていた。
彼は1940年の時点で次のように告げている。「ドイツは1942年から43年にかけての冬までは、連勝を収めるでしょう。
しかし、その後の星相は最悪です。1942年末までに休戦すべきです。」しかし、この不気味な予言は黙殺された。(後にこの発言はクラフト自身に悲劇を招くことになる)。
●ところで、イギリス軍も参謀本部のメンバーとして一流の占星術師ルイ・ド・ウォールを採用していた。当時、イギリス軍はナチスの指導者たちがオカルトに傾倒していることを察知していた。
もしドイツが占星術によって作戦を練っているのだとすれば、同じ占星術のロジックによって、ドイツの作戦を予測できるに違いないと考えた。
彼らはイギリス外務官O・サージェント卿の指揮のもと、「チレア計画」というプロジェクトをスタートさせ、占星術師のウォールにナチスの作戦を逆解読をさせたのである。(註:まさしく呪術どうしの戦いですね。
情報攪乱による戦いとも言えるでしょう。)※ イギリス軍情報部には、当時、後に魔術小説家として有名になったデニス・ホイトリーなど、何人ものオカルト信奉者がいた。(註:彼らもまた悪魔崇拝者だったに違いありません。)
●ウォールの最初の仕事は、ナチスのイギリス本土上陸作戦の「逆解読」だった。
そしてその解読は、見事なまでの成功を収めた。
その後も、ウォールは敵側のクラフトの立てる占星術的戦略を次々と解読していった。
ウォールは、その成果を1941年8月、アメリカのオハイオ州で開催された「米国科学的占星学者連盟」で発表している。ウォールは席上、ヒトラーの作戦と星の運行を比較し、公に「ヒトラーはドイツで最高の占星術師を軍事顧問として抱えている」と断言、
更に、敵側の今後の戦略を「逆解読」してみせた。
●クラフトとウォールの対決は、軍事戦略面のみならず、やがて、プロパガンダの舞台でも繰り広げられることになる。
ドイツ軍に有利なノストラダムスの解釈がクラフトによって作られ、各国にばらまかれて浸透している状況の中で、イギリス軍の参謀本部は、それに対抗するプロパガンダを作成・普及させる使命を、ウォールに与えたのである。
そこでウォールは、ドイツ内部の国民感情を揺さぶるような戦略を展開させる。それは、ドイツ国内に偽造した占星暦を送り込むというものだった。そのころ、ドイツにはよく知られた「天頂」という占星暦があった。
ウォールはその「天頂」のきわめて精巧な偽物をつくり、ドイツ側にマイナスとなる情報を数多く盛り込み、スウェーデン経由でドイツ国内に大量にばらまいたのである。
●偽「天頂」は大成功を収めた。非常に広い層のドイツ人に行きわたり、国民の動揺は静かに広がっていった。
この偽「天頂」の中に記載された情報は、例えばこんな具合だった。「4月4日、もし船長のホロスコープがよくなければ、海に出ないほうがいい」「4月20日、Uボートに最悪の事態が発生!」
これらの予言は、当時、最強・最新鋭の装備を持ち、ドイツ軍の誇る戦力だったUボートの乗組員たちの士気をそぐのに、十分な効果をもたらした。(註:このように裏社会の連中は、否定的な情報を頻繁に流すことで、人々の心を掻き乱すわけです。
私のところに来るネット工作員や大手マスコミの手口と全く同じですね。)
●しかし、この“占星術戦争”は、突然、奇妙な形で幕を下ろすことになる。それはヒトラーの片腕といわれたナチスの副総統、ルドルフ・ヘスが起こした「奇行」に端を発するものだった。1941年5月10日、ヘスは突然、単独でイギリスのスコットランドへ乗り込み、逮捕されてしまったのである。
これには世界が驚いた。
●ヘスはいったい何を考えて、逮捕されると分かりきっている敵国へ乗り込むような愚行を犯したのだろうか?〈ルドルフ・ヘス〉ヘスはその後ずっとイギリスの刑務所で過ごしたが(1987年8月に死亡)、彼の「奇行」の真相はイギリス政府が隠蔽してしまい、いまだに全ては謎に包まれたままである。
が、ヘスは生前、“星の導き”によってこれを行なったと語っていた。
彼は自分が訪英することで、大戦の行方を大きく変える“奇跡”が起きると信じていたという…。(註:このルドルフ・ヘスはまさにイギリスから送られたスパイだったと考えられます。そのため、こんな奇行に打って出たと考えられるわけです。)
1941年5月、突然、単独でイギリスへ乗り込み、世界を驚かせた。彼の「奇行」の真相は依然として謎に包まれている。
●地政学者ハウスホーファー(註:天皇派とつながりがあった人物。後に詳しく説明します。)の伝記を書き、当時のヘスをよく知っているヒルデブラント博士はこう証言している。(ヘスはハウスホーファーの弟子だった)。「ヘスは占星術によって、すみやかに敵の意志を改変するために、できることの全てを行なわなければならない、と信じるようになったのである。というのも、4月の終わりから5月にかけて、ヒトラーの星相は非常に凶悪なものになるからである。
そこでヘスは、ヒトラーを救い、ドイツに平和をもたらすのは、自分が負うべき使命だと思いつめるようになったのである。」
●戦後南米に逃亡した元ナチスの高官は、ルドルフ・ヘスについて次のように語っている。「ヘスはイギリスとの戦争を避けなければならないと信じていた。真の敵はイギリスではなくソ連と信じていたからだ。」だからイギリスとドイツが一緒になってソ連に対抗するような状態を彼は作ろうと努力した。
イギリスの海軍力とドイツの陸軍力がガッチリと組めば、どんな敵でも倒すことが可能だったからだ。これを実現させるため彼は単身イギリスへ飛んだ。独ソ開戦の直前だった。(註:繰り返しますが、ソ連とドイツは味方でした。なのに、彼はソ連に抵抗する状態を作ろうとしたというのです。
彼がイギリスのスパイだったという何よりの証拠です。)
彼には勝算があったようだ。というのは彼はその頃、秘密結社トゥーレ協会のメンバーだった。この結社の兄弟グループみたいなものがイギリスにもあった。『黄金の暁』と呼ばれる結社だ。その有力メンバーにハミルトン公爵がいた。
ヘスは彼とは親しかった。(註:なぜドイツ軍の幹部が、敵国であるイギリスの秘密結社と親しかったのでしょうか。
もちろん、彼がイギリスのスパイだったからでしょう。)ドイツを発つ前、彼はハミルトン公爵に打診してみた。答えは前向きだった。そこでヘスはドイツを発ち、闇にまぎれてイギリスにパラシュート降下したのだ。しかし、そううまく事は運ばなかった。チャーチルの横やりが入ったからだ。
もちろんチャーチルの後ろには、国際ユダヤ組織と大銀行団の圧力があった。
ヘスは戦争中捕われていたから、戦犯では断じてない。しかし、戦後もずっと独房にぶち込まれていたのは、彼がアイヒマン同様、ユダヤの世界戦略について知りすぎていたからだ。」(註:ルドルフ・ヘスはイギリスに渡ってもなぜか殺されませんでした。しかも、彼は戦後のニュルンベルク裁判においても「人道に対する罪」について「無罪」とされました。
一応、「共同謀議」と「平和に対する罪」においては終身刑とされましたが、
家族や政治家、学者たちがヘスの減刑を連合国に求めつづけました。しかし、ソ連が常にそれを却下。ソ連だけは最後までヘスを許しませんでした。
当然です。ヘスはヒトラーを騙し、ドイツとソ連が戦うように仕向けた人間なのですから。)(中略)
●ところで、ルドルフ・ヘスをイギリスに招き寄せたのはクロウリーであるという説がある。
クロウリーはドイツの占星術師にニセの占星図を作らせ、イギリスのスパイの手でヘスのそれとすりかえさせたのが功を奏したのだと──『イギリス情報機関の歴史』は伝えている。(註:この辺のことからしても、ヘスがイギリスと内通していたことがよく分かります。)
また、ある研究家によれば、
直接ヘスに占星学上の助言をした人は、当時、文化政治局の局員してヘスの下で働いていたシュトラウスという男だという。
彼はヘスの「奇行」の直後、ゲシュタポによって逮捕されている。(註:このシュトラウスもイギリスのスパイだったのでしょう。)
●いずれにせよ、ヘスを失ってからのヒトラーは、それ以前ほど霊的感受性の冴えを見せなくなり、クラフトの逮捕と機を同じくして、ドイツ軍は武運を失っていく。1943年1月31日、ソ連に侵攻していたドイツ軍は、スターリングラードの戦いで敗北し、以後、急速に後退していったのである。
----------------(転載ここまで)
ルドルフ・ヘスがイギリスのスパイだったわけがない、それはお前の思い込みに過ぎない、と仰る方もいるでしょう。
では、なぜルドルフ・ヘスは「ソ連こそがドイツの最大の敵であって、イギリスに攻めてはいけない。ソ連と戦わなければならない」と言い張ったのでしょうか。
しかも、わざわざ敵国のイギリスに一人で乗り込んでいって、そのような状況を作ろうとしたのでしょうか。
どこからどう見ても、彼がスパイだったからとしか考えられません。
しかし、この世の多くの人がドイツとソ連が味方どうしだったと知らないので、そのような回答を導き出すことができないのです。
その一方で、実は「ソ連に攻めてはいけない」と、ヒトラーに最後まで忠告しつづけた人物がいました。その人物とは、カール・ハウスホーファーという地政学者です。
地政学者といっても、ただの学者ではありません。
彼は日本の「緑龍会」という秘密結社に入会していた怪しげな人物です。
「緑龍会」とは、以下のような組織です。----------------(以下、~詩篇~ 島宇宙は大宇宙より転載)「緑龍会」―。
戦前の京都に存在した秘密結社である。
緑龍会は政治的秘密結社で、日独を裏で結び付け、日独防共協定や三国同盟を結ばせた謎の組織だ。その中の何人かは戦前のドイツに渡り、ナチス設立に関与したという話もある。ちなみに京都という街は、五行五色の配置で、中央の平安京を黄(黄金)とし、北の黒を玄武、南の赤を朱雀、東の青を青龍、西の白を白虎に配して四神相応とした。
だから戦前の京都では北に黒龍会が置かれ、ナチスと関わる緑龍会が東に置かれた。
日本では緑を青と表現する。
一方、ナチスのハーケンクロイツは鉤十字と呼ばれるように、中心を囲む四方支配の呪術だったが、緑龍会が卍を神道の鏡像反転で逆卍にし、ナチスのシンボルにさせたとされる。
----------------(転載ここまで)ある有名隠謀論者がよく「黒龍会」とか「白龍会」などの話をしていますが、「緑龍会」も似たような組織だというわけです。
その有名隠謀論者は「白龍会」だけは我々国民の味方だと言っていますが、そんな話は全く信じられませんね。
どうせみんな似た者どうしでしょう。それはともかく、この「緑龍会」が平安京(つまり、京都御所)と何らかの関わりがあったということは間違いなさそうですから、これは明らかに「天皇派」の一派ですね。で、この「天皇派」の組織に入会していたカール・ハウスホーファーは、
「ソ連に攻めてはいけない」とヒトラーに度々忠告していました。
ソ連とドイツも「天皇派」の国なのですから、当然といえば当然のことです。しかし、ヒトラーはその忠告を受け入れず、最終的にソ連に攻めていってしまいました。その詳しい経緯が以下になります。〈カール・ハウスホーファー〉
----------------(以下、ナチスとチベットの妖しい関係より転載)
●カール・ハウスホーファーはドイツの代表的な地政学者である。「地政学」とはイギリスの帝国主義者サー・ハルフォード・マッキンダーのひねり出したもので、植民地拡大主義を正当化したものである。ハウスホーファーは第一次世界大戦で数々の軍功をあげた将軍であり、大戦後はミュンヘン大学の地政学教授となった。そして彼は「ミュンヘン地政学研究所」の所長も務めた。
●ハウスホーファーは単なる著名な地政学者というだけではなかった。彼には秘教的な傾向もあった。(註:もちろん、彼もまた悪魔崇拝者だったわけです。)1908年から数年間、武官として日本に滞在したが、その間に禅の研究を行なった。また、その来日前、インドやチベットで諜報活動に従事しており、チベットでラマ僧から奥義を受けたと主張していた。(註:出ましたね。
このチベットが実にくせ者です。)彼はベルリンに「ヴリル協会」といった秘密結社をつくった。
この結社の目的は、アーリア人種の根源を探り、ヒンズー教のクンダリニー・エネルギーに相当する“ヴリル”の気力を呼び起こすために精神集中訓練を行なうことだった。(註:この「ヴリル協会」。
やることなすことオウム真理教と似ています。
実に怪しげな組織です。)ハウスホーファーは、“超人”の秘密を所有するチベットの結社と関係があると称し、イギリスの作家で神秘主義者のブルワー・リットンの、未来の超人種に関する著書『来たるべき民族』を字義通り受け入れていた。(註:この『来たるべき民族』という著書もくせ者です。これについてもいずれ記事にします。)
●このミュンヘン大学教授のハウスホーファーはランズベルク刑務所において運命的な出会いをする。1923年、ミュンヘンのビヤホール暴動に失敗して捕らえられていたアドルフ・ヒトラーとの会見である。
この会見は、ヒトラーの片腕であり、ミュンヘン大学で教授の教え子でもあったルドルフ・ヘスの仲介によって実現したのであった。ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れては、ユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説いた。
そして、オカルティズムによる世界征服という思想をヒトラーに植え付けた。(註:これぞまさしくNWO計画そのものですね。
NWO計画をヒトラーに教えたのが、まさにハウスホーファーだったというわけです。)
そしてヒトラーに『我が闘争』の執筆を勧め、共同執筆者となった。(ヒトラーは1924年12月20日まで刑務所に収容されていたが、
ヒトラーへの待遇は極めて寛容なものであった。『我が闘争』はその間に執筆されたのである)。こうして、ハウスホーファーは1920年代にはヒトラーの政治顧問を務め、同時に、「トゥーレ協会」の黒幕ディートリヒ・エッカルトに次ぐ、ヒトラーの第2の“秘教助言者”となったのである。
彼は「ドイツ総力戦研究所」の所長に就任し、彼が発刊した雑誌『地政学評論』はナチス政権の政策・理論の基礎として重用された。(中略)●ハウスホーファーの著書のほとんどは日本を対象としているが、なぜ日本なのだろうか?
ハウスホーファーによると、日本人たちの間における、あの不思議な一体感に大いに関心を持ったという。日本民族はその島国的な生存圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように敏感に感知する能力を持っていると、彼は言う。このような一体感はドイツには欠けていた。
それはナチスがドイツ民族を集団化させるのに、宣伝にいかに苦心したかでも分かる。
また彼は、20世紀が大西洋文化の窒息状態からの解放であるとしたら、太平洋という呼吸空間を柱としなければならないのは当然と考えた。
アメリカやイギリスが大西洋的国家から転じ、植民地政策により太平洋的国家へ変身しようと望んだのは、先見の明というものだと感じていた。当時のドイツは、この西洋列強による太平洋分割競争に乗り遅れていたため、今後太平洋に討って出るためのドイツの戦略として、彼は地政学的に太平洋の“高気圧”とみたてた日本の動きを重要視していたのである。(註:「地政学的に太平洋の“高気圧”とみたてた日本」って、どういう意味でしょうか。
こういう訳の分からない説明が出てきたときは要注意です。そこには何かしら裏があります。もちろんこれは「日本こそがNWOの中心であるべし」という意味でしょう。)
●なお、彼は、日本民族の起源を南太平洋の「海洋遊放民族」に求め、その最初の国家は瀬戸内海地方に建設されたと主張していた。
太平洋=大洋州の各地の“天地創造”がそれを裏付けていると、彼はいうのである。(註:イザナギとイザナミが最初につくった「淡路島」にこそ日本人のルーツがあると言いたいわけですね。)
更にかつて太平洋は「中心の盆地」であり、日本人の祖先である海洋民族はインドの島々からアメリカ大陸の太平洋海岸地方にまで、結合的な文化圏を築いていた、と推測していた。(註:ムー大陸のことを言っているのでしょうか。)
●ハウスホーファーは、第二次世界大戦への日本の動きにも理解を示した。佐藤信淵の「世界征服計画」の一部を肯定するのだ。(註:「天皇派」であれば、もちろん肯定するでしょうね。
彼らは日本中心のNWOを作りたいわけですから。)
例えば満州ヘの進出は、“日本国民の生活圏に対するあらゆる危険をテレパシーのように感知する能力”がしからしめた賢明な戦略であった、と評価する。
日本は満州と経済ブロックを組んで力をたくわえ、ゆくゆくは中国とインドを含む「モンスーン諸国」のリーダー格となって、その自立と発展をはかるべきだ、とまで主張したのだ。
当時の日本の「大東亜共栄圏」講想に、遠くドイツから地政学による理論的支柱を贈ってきたのである。
だが、なんのために?
現代のハウスホーファーの批判的研究者もその点を指摘している。曽村保信氏は著書『地政学入門』の中でこう書いている。
「なぜドイツの陸軍軍人だった彼が、本職をなげうってまで、太平洋の地政学に心魂を傾けるようになったのか?
これは、やはり解きがたい一種の謎である。」(註:彼が「天皇派」だったからです、と教えてあげたいところですね。)(中略)●彼は日本は大陸より太平洋に目を向けよ、と強調していたのであるが、同時に地政学的には日本とドイツはソ連と提携しあうのが必須だと考えていたようだ。(註:出ました。やはりドイツとソ連と日本を提携させようという動きが水面下にあったわけです。
そして、その動きが成功したわけです。しかし、ヒトラーがそれを崩してしまったわけです。)(中略)
●さて、最後に、ハウスホーファーが日本で入会していたとされる「緑龍会」のことだが、
個人に課せられた使命に失敗すれば、「緑龍会」の会員には儀式的な自殺が求められていたという。
実際、ナチスの「使命」に失敗したあと、ハウスホーファーがやったのもまさにこれだった。
ナチス・ドイツ崩壊後の1946年3月10日、ハウスホーファーは、妻を道づれに毒(砒素)をあおって死んだ。(このとき日本流の「ハラキリ(割腹自殺)」をしたと主張する研究家がいるが、真偽のほどは定かではない)。
彼の埋葬地には十字架も墓石もない。彼が抱いていた秘密は全て、彼の死とともに消え去った。ハウスホーファーはヒトラーが自分の意図した方向から
徐々に外れていき、暴走していくのを目にして、彼に「知識」を授けたことを大いに後悔していたのではないだろうか。
----------------(転載ここまで)
こうして見てみると、実はヒトラーですら裏社会の企みをきちんと知らされていなかったと考えていいような気がします。
彼もまた完全なる裏社会の操り人形に過ぎなかったというわけです。
だとしたら、日本の首相・安倍晋三もきっと同じようなものなのでしょう。
彼もまた「天皇派」の真の意図などほとんど何も知らされておらず、ただあれをやれ、これをやれと、
上から指示された通りに動いているだけなのかも知れません。
だとしたら、本当に哀れですね。
このブログを読んで、ぜひ覚醒していただきたいものです。
いずれにせよ、第二次大戦でドイツがイギリスに敗れたのは、イギリスによる攪乱工作によるものと見て間違いなさそうです。
ヒトラーはその攪乱工作にまんまと引っかかり、自分を見失ってしまったのです。「天皇派」と「教皇派」の戦いは常にこのような諜報戦によって進められている、
という一端が垣間見えたような気がしました。
しかも、今日のお話で、謎に満ちた第二次大戦のカラクリが全て解けたのではないでしょうか。勝ち目もないのに、なぜヒトラーがソ連を攻めていったり、アフリカに攻めていったりしたのか。
このことはこれまで多くの歴史学者や歴史マニアにとっても大きな謎でしたから。
しかし、最後に残る謎は、果たしてヒトラーは本当に自殺したのか、
それとも一部の噂にあるように、
アルゼンチンに逃亡したのか、ということです。アルゼンチンに逃亡したのは実はヒトラーの替え玉だ、という説もあるようですが、
果たしてどうなんでしょう。
ボクが良く吊るしているどっかの誰かさんたちもVサインを多用して、マス書き自撮りしてるよね。
この俺様が見抜けないと思ったか?
Vサインは降魔。
https://mangade-umaruze.info/sabculture/
https://enigma-calender.blogspot.com/2016/09/aleister-crowley.html
大変だ! 日本はイギリスの領地だった!?
ハッキリ言って
この記事のタイトルを日本語表記しても検索できないようにされているからスクリーンショットね。
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